天動する経済学

虚構の経済学から実態の経済学へ

経済メモ なぜそんなことになったのか

デフレはレア現象なので、その対策が直感に反するところがある。

対策内容、大きな政府、財政支出拡大、減税、金融緩和、

規制強化、競争抑制、産業保護、労働者保護、グローバル抑制、なんかイメージ悪くないか。

政府の無駄遣い、規制強化は経済非効率、生産性向上の抑制、貿易保護主義とか。でもデフレの時にはよくない。生産性向上するとデフレ促進する。

企業にとっては生産性向上や競争力強化は正しい。生き残るにはそうしなくてはいけない。ところがこれが合成の誤謬て、全体としてはデフレ圧力となる。ピンポイントでのインフレ箇所(人手不足など)には生産性向上が正当化される。

生産性向上=1人辺りGDPを伸ばし=経済的に豊かであることは正しい。ただしデフレの時にはやってはいけない。インフレの時にやらないとダメ。ここか最大のポイントの一つ。まずはデフレからインフレ状態に先にしなくては経済成長はありえない。

なら企業淘汰は?供給を減らせばいいのならダメな会社は全て潰せばいいのでは?そしたらデフレ脱却では?供給面は確かに減るが、需要面も減る。消費も投資も減る。失業者が出ると消費も減る。需要と供給は表裏一体。

それでも非効率企業を淘汰すれば経済成長するという意見は根強い人気がある。これは国のマクロ経済と企業経営を混同したよくある勘違いです。1企業であればそれは正しい。無駄な経費も人もカットして業績向上は可能。当然国の経済ではそういうわけにはいかない。外に出すことはできない。企業が潰れたらその人は消えるわけはなく、失業者として残る。働けるのに働けない労働者はいわば遊休固定資産。国家の経営を考えると失業者こそ非効率な経営である。民間のビジネスセンスで国のマクロ経済を語ることはできない。経営の神様的な人が語るから話はややこしくなる。国家経済に関してはど素人は黙っとけと言わなければならない。

財政支出拡大に焦点をあてると、なかなか理解が得難い。無駄遣いというイメージ。(これは批判すると票を取れる)国民はデフレ期の経済合理性に基づいて切り詰めて生きているのに、ジャブジャブお金を使ってたらイラっとくるわけ。だから批判すると支持される。誰もお金を使わないとデフレ脱却できない。だからこそ政府がお金を使わないといけない。政府まで切り詰めたらいつまで経ってもデフレ脱却できない。政府も身を切るとかいうのは受ける。でもこれは合成の誤謬により、結果的に国民の身を削っているだけの愚策である。

政府支出を増やせば需要が生まれる。公務員を増やしてもいいし、給料はむしろ上げるべき。公共工事もバンバンすべきということになる。

もちろん無駄な建物より、有益な建物を建てた方がいい。でも無駄な建物を立てないか、無駄な建物を建てるかでいうと無駄な建物を建てる方がいい。建物自体に意味がなくとも少なくとも需要増になっているから。

良い策悪い策を並べると

①必要な公共投資②不必要な公共投資③公共投資をしない④公共投資を減らす 平成日本は③④ばかりをしていた。

さて、ここまでで多くの人が引っかかっていると思います。いやいやそうしたくても財政難で無理でしょうという意見。これは最重要事項な話なので、また別途説明する必要がある。

結論からいうと日本に財政問題はありません。そもそも財政赤字を減らしたいならば、デフレの間は税収も減るので財政赤字から脱却できない、もし脱却したいならインフレにまずしなければならない、そうしたら財政支出は抑えられるし、逆に抑えなければならない。


公共投資は無駄だったという意見もある。バブル後公共投資したのに不況脱却出来なかった。やったのは90年前半だけ(大した額では無い、IMFも不十分であり、効果がなかったとするのは間違いと指摘)で、それ以降減らし続けている。公共投資を減らして消費増税した1998から本格的なデフレ突入している。


産業や労働者は保護しろ競争は抑制しろ、グローバル化早めて保護主義にいけ、公務員増やして給料上げろ、無駄な公共投資であってもやらないよりマシ。これらは暴論に聞こえるかもしれないがデフレ期においては単純に正しい。インフレ期にはやっちゃダメ。それと同じくらいインフレ期にやるべき政策はデフレ期にやっちゃダメ。

経済においては、インフレ状態が平常であってデフレは異常事態。生産性向上や無駄の排除、効率化が正しいと思われているのはインフレ経済が暗黙の前提としているから。デフレが長引くのはここの理解を、得ることがなかなか難しいからかもしれない。